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【阪神】今岡真訪 コーチ就任! おかえりなさい!

阪神】今岡真訪コーチ就任! 待ってました!

こんにちは。ぴぴです。

1月17日、今岡真訪氏(48)がコーチ就任記者会見を行いました!

遅くなりましたが、おめでとうございます!

ファンのみなさん、待ちに待っていましたよね。これで、さらに強くなること間違いないでしょう!

 

今岡コーチは、どういう方なんでしょうか。見ていきたいと思います。

では、参りましょう。

 

 

 

コーチ打診から?

まず始めに、コーチ打診してから時間がかかりましたね。なぜなのでしょうか?

 

実は、7月下旬に新型コロナウイルス陽性になりました。そして、8月3日阪神戦の解説、9月2日の講演会をキャンセルしています。その後、詳しくはわからないのですが、1ヶ月以上後遺症に苦しんでいたようです。

 

9月下旬に岡田監督は、今岡氏にコーチを打診しています。ですが、今岡氏は秋季キャンプに間に合わないことを理由に迷われていました。よほど、体調が悪かったのだと思われます。

岡田監督は、「そんなん気にせんでもエエ。体調が整ってからでエエよ。」と伝えました。どうしても、今岡氏にコーチをしてほしいということなんです。

 

その後、12月3日です。

兵庫県姫路市ウインク球場での野球教室に参加しました。元気な姿を見せていましたが、特にコーチのことには触れていなかったようです。ファンの間でも、会見を開かないのか気になっていましたね。

 

次は、12月9日です。

鳴尾浜の新人合同自主トレの初日、視察に訪れました。水口コーチと1時間以上、話していましたね。それでもまだ、会見を開かないので、どんどん気になりますよね。

 

岡田監督も、今岡氏を気づかい多くを語られないので、すごく気になりますね。

 

なぜ、今岡真訪なのか?

私が思う理由は、2点あります。

1つ目は、阪神の次期監督、もしくは近い将来の監督と考えているから”だと思います。

2つ目は、岡田阪神の打撃陣を立て直すためには必要である”ということです。

 

打撃陣の立て直しの理由として、岡田監督の持論には、“右打者の打撃コーチを軸に据える”“型のないバッターは良い指導者になる”という考えがあります。

 

具体的には「現役時代に型のないバッターの指導者は、たくさんの引き出しを持っているので、選手に合わせて指導できる。逆に、型にはまって打ってきたバッターは、選手を型にはめて指導する。」ということです。今岡氏の場合は前者で、岡田監督の持論にピッタリなんですね。しかも、そんじょそこらの選手ではなかったわけですし、指導者としての経験もありますしね。

 

今岡氏も会見で、「選手個々の能力を引き出したい。全ての固定観念にとらわれず、全て日々いろいろ変化していきますので、その中で引き出しを提示していく。」と岡田監督と同じような考え方を言っていました。

 

今岡氏の持論は、「コーチは押しつけずに観察する。選手の気づかないことに気づくこと。」と、考えられています。そして、現役時代に感じていた「自分を見てくれている。」という気持ちも大事にされています。

 

経歴は?

1974年9月11日生まれ。兵庫県宝塚市出身。右投右打。本名は今岡誠です。2017年に登録名を「今岡真訪」に変更しました。読み方は同じです。

 

プロ入り前

PL学園高校3年のとき、甲子園(春)に出場しベスト8。このとき、阪神タイガースから打診があったが、東洋大学に行きました。

東洋大学での成績

ポジションは遊撃手

通算89試合 335打数100安打

打率.299 本塁打12 打点73

ベストナイン2回

 

阪神時代

1996年ドラフト1位(逆指名)

契約金1億円 出来高5,000万円

年俸1,200万円

 

1997、1998年は吉田監督のもとで徐々に成績を残し始めました。

 

1999年〜2001年、野村監督が就任しました。野村監督の今岡批判もあり、確執も噂されていましたね。成績も平凡でしたし、待遇も悪かったので、「もうこのまま消えていく選手なのか」と思ったぐらいです。後に、今岡氏は野村監督とは合わなかったと言っていました。

 

2002年、星野監督が就任しました。赤星選手の故障により、1番打者に固定されました。足の遅い今岡選手で大丈夫かと思われましたが、打率.317(セ5位)、本塁打15のキャリアハイで、素晴らしい成績を記録しました。「やっぱり野村監督に嫌われていただけなんだ。」と誰もがが思いましたよね。

2003年の阪神優勝時には、1番打者に固定され、右打者でありながら打率.340のキャリアハイで“首位打者”になりました。ゴールデングラブ賞(二塁手)も受賞しました。その他、主な記録として得点圏打率.428(セ1位)、初回先頭打者本塁打7(初球5)、先頭打者初球本塁打2試合連続も記録しました。この年は、無茶苦茶すごかったです。

 

2004年、岡田監督が就任しました。この年は3番打者に起用され、阪神選手会長に就任しました。成績は打率.306、本塁打28,打点83と良い結果でした。

2005年の優勝時には、三塁手にコンバートされ、5番打者で起用されました。本塁打29(キャリアハイ)を記録し、打点147(球団新記録・プロ野球歴代3位)で打点王になりました。そして、得点圏打率.371(170打数)、満塁打率.600(25打数15安打49打点)、満塁本塁打4を記録しました。

ちなみに、3番シーツ選手、4番金本選手、5番今岡選手のクリーンアップの合計357打点は球団最高記録です。

この年の阪神は、向かうところ敵ナシって感じで無茶苦茶強かったです。

 

2006年以降は、ケガや手術などもあり低迷していきました。

2009年10月、戦力外通告

 

ロッテ時代

2009年11月の合同トライアウトに参加しました。そして、2010年2月1日の春季キャンプにテスト生として参加しましたが、2月3日に合格しました。年俸1,500万円です。

この年26試合、翌2011年13試合の出場となりました。ほとんどが指名打者か代打でした。2012年からは選手兼2軍打撃守備コーチになり、1軍出場なしでした。そして、9月18日引退を発表、10月5日に引退会見をされています。

 

引退後は?

2012年12月に“感じるままに生きて”という本を出版されました。

2013〜2015年、主に野球評論家や野球解説者として活動しています。

 

阪神コーチ時代①

2016年、金本知憲氏の1軍監督就任に伴い、“2軍打撃兼野手総合コーチ”に就任しました。“背番号「77」”です。これは、星野仙一氏が阪神監督時代につけていた番号です。

 

ロッテ2軍監督・コーチ時代

2018年、井口資仁氏の1軍監督就任に伴い、“2軍監督”に就任しました。

井口氏とは、同学年、大学時代は同リーグでした。1996年、アトランタオリンピックでは井口氏(遊撃手)、今岡氏(二塁手)ともに選出されました。そして、ロッテ時代の3年間はチームメイトでした。お互いをよく知る盟友ですね。ここでも“背番号「77」”をつけています。

2021年、1軍ヘッドコーチに就任しました。クライマックスシリーズ進出に貢献しましたが、オリックスにファイナルステージで負けたことで、球団に退団を申し入れました。11月15日に退団。

 

ロッテ退団後は?

2022年、7年ぶりに野球評論家や野球解説者に復帰しました。解説者は契約せずにフリーとして活動されました。YouTubeにも参加していました。

 

阪神コーチ時代②

今年、岡田監督15年ぶりの1軍監督就任により、1軍打撃コーチ就任です。1月17日に正式に発表され安心しました。ここでも“背番号「77」”です。

 

最後に。

「選手個々の能力を引き出す。この一点につきますね。」と、“虎最強の5番打者”と呼ばれた男が帰って来ましたよ!

岡田監督と同じく、現役の終盤は他球団の飯を食いました。そして、阪神や他球団での監督、コーチ経験という同じような道を歩いています。これがまた、重要なんですよね。

6年ぶりの阪神復帰となりますが、どんな育成方法で、どんな打者が誕生または覚醒するのかを期待したいと思います。

 

ありがとうございました。

ほな、また。